2016年御翼3月号その2

神の赦しをいただく為にしなくて良いこと ―――リック・ウォレン牧師

 

罪責感のおよぼす悪影響
@ 罪責感は自信を失わせる
  罪責感はあなたから自信を奪います。「あの秘密がばれてしまったときのことを考えると、いてもたってもいられない」。そう考えては自信を失ってしまうわけです。
A 罪責感は人間関係を台無しにする
  罪責感を抱えていると、人間関係がうまくいかなくなります。ささいなことでも、過剰な怒り方をしている人を見たことはないでしょうか。原因を探ってみると、本人も気づいていないことが多いのですが、その過剰な反応が罪責感から引き起こされているということがよくあります。また、罪責感のゆえに人を甘やかして、その人をダメにしてしまうということもあるでしょう。「この子たちとの関係では親として罪意識を感じるから、せめて好きなものを何でも買ってあげよう」と言って、多くの親たちが自分の子どもを甘やかせることで、自分の罪責感を取り除こうとします。さらに、罪責感は人間関係が深まることを妨げます。ある程度までは親しくなっても、それ以上は深まらないのです。今日、結婚生活で起こる問題の多くが、配偶者のどちらかが結婚前の出来事にとらわれ続け、いまだに罪責感を抱えているために引き起こされています。罪責感は、結婚生活の問題の原因ともなっているのです。
B 罪責感は私を過去にしばりつける
  過去にとらわれて生きるということは、バックミラーを見ながら車を運転するようなものです。そんな運転の仕方では、やがて衝突してしまうでしょう。罪責感は、できれば変えたいと思っていても決して変えられない過去を執拗に思い出させます。いくら心配したからといって未来を変えることができないのと同じように、どんなに罪責感で苦しんだとしても過去を変えることはできないのです。罪責感は、今の自分をみじめにさせるだけなのです。

神の赦しをいただくためにしなくてよいこと
 第一に、懇願する必要はありません。どうか赦してくださいと言って、必死に頼み込む必要はありません。神はすでにあなたを赦したいと願っておられます。あなたが赦されたいと願う以上に、神はあなたを赦したいと願っておられるのです。
 第二に、取引する必要はありません。「もし赦してくださるなら、私は二度とこんなことはしません」などと言う必要はありません。自分の力をよりどころにして取引しても役に立たないでしょう。
 第三に、わいろを使う必要はありません。「神様、もし私を赦してくださるなら、精一杯の努力をして良い行いに励むことを約束します。教会にも行きますし、十分の一献金もします。あれもします、これもします…」などと言う必要はありません。
 神は赦してくださると信じるのです。「もし、自分の罪を心から認めるなら、神がどれほど信頼できるお方であるかが分かるでしょう。神は私たちの罪を赦し、あらゆる悪から私たちをきよめてくださるのです」(ヨハネ第一1・9 Philips)。 
リック・ウォレン『回復への道』(PDJ)より

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